『吉成農園』吉成邦市さん

吉成農園 吉成邦市

「若い人たちの憧れになるような仕事をしたい」
ふとした瞬間に彼の放ったその言葉を、今でもはっきりと覚えている。

吉成邦市さんは、福島県天栄村で農業を営んでいる。しかし彼のことを形容するとき、それが「農家」というひと言で説明しきれるものなのか、私には全く自信がない。〝天栄村の吉成邦市〟と言えば、おそらく界隈では名の通った、知られた存在のように思う。しかしそれには農家としてというだけでなく、彼が36年勤めていた〝村役場の人間〟という立場も少なからず影響しているようだ。今回のインタビューで吉成さんの話を聞くにつれ、彼の取り組んできたことを自分がどれほど書き表せるのか、一層不安になっている私だが、筆の力が及ぶ限り記していこうと思う。
それくらい彼のしてきたことは膨大で、力強く、並外れているのである。

天栄村を〝いいところ〟だと思ってもらいたい。

18歳で天栄村を出て東京の大学に通った吉成さんは、卒業後に再び天栄村へ戻り、村役場職員になる道を選んだ。しかし、当時の都会からのUターン就職者は、まだまだ〝都落ち感〟があり、吉成さんもその雰囲気を肌で感じていたと言う。長男であることや親のそばで暮らしたいなど、地元に戻ってきた理由を並べることは出来たが、改めて真剣に自分が天栄村に戻ってきた意味を考えたとき、吉成さんはこう思った。
「外から遊びに来た友人に、天栄村を〝いいところだな〟と思ってもらいたい」
そしてこれが、現在に至るまでの彼の大きな原動力となっている。

山 湧き水 雪水 丹波楯山 

村の水田を潤す丹波楯山からの山水

役場で働きはじめてから、産業、企画、福祉、農政など様々な課に配属となり、結果36年を天栄村のために捧げることとなった。「配属先が変わったら必ずひとつ、新しいチャレンジをする」をモットーに、企画課時代には当時人気だった『ウルトラクイズ』を天栄村で開催し、福祉課配属時には介護保険導入に中心的立場として携わったりと、長いキャリアの中でも文字通り〝新しい挑戦〟を重ねてきた。中でも農政課時代に立ち上げた「天栄米栽培研究会」は、現在の天栄米ブランドを確立するための大きな礎となった。

36年を捧げた役所時代と、し続けた挑戦。

『天に栄える村』という映画をご存じの方もいるかもしれない。
東京に拠点を置く桜映画社が、天栄村の農家とその米づくりに密着して制作したドキュメンタリー映画である。劇中にも記録されているが、農業振興課に在籍していた吉成さんは自身の呼びかけで地元農家の有志を集め、2007年に「天栄米栽培研究会」を発足させた。米価が下がり続ける中、田舎の小さな村でいかに農業を存続させるかを考えた結果、「日本一美味しい米をつくる」ことを目指すことを決めた研究会は、当時天栄村ではほとんど普及していなかった有機栽培に着目し、試行錯誤の末、「漢方」を使用した独自の有機栽培米の開発に成功した。しかし、これからという矢先、2011年の東日本大震災が起こる。

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天栄米栽培研究会で蘇らせた山間の『再生水田』には、都会から田植えや稲刈りに来てくれる人もいる。)

震災後の栽培研究会はじめ、天栄村の農家の方々の苦悩は計り知れない。沿岸部の原発のある地域から70km離れているとしても、風向きや地形の関係から放射能の被害がゼロとは言い切れなかった。ましてや県外の人から見たら、天栄村も沿岸部も同じ〝福島県〟であることには違いがない。実際に〝福島〟と名のついたものが軒並み避けられてしまうという現象は、起きてしまっている。しかし、吉成さんら研究会のメンバーは皆、諦めなかった。なんとか放射能の影響をゼロに近づけるために独自に研究をし、有識者を招聘し、その結果あるひとつの方法を発見するに至った。
プルシアンブルーという顔料の他、天然鉱石やカリウム等を使用して放射性物質「セシウム137」の玄米への移行を防ぐというその方法は、まさに吉成さんらが実際に農地で試して成功に至った、世界でも初めての放射線物質浄化法であった。
震災後の風評被害の払拭をはじめとした栽培研究会の活動の様子は、ぜひ映画にてご覧いただきたい。

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再生水田にて育てられた、収穫間際の漢方栽培米。この時期はイノシシとの闘いだと言う。

59歳、農家として新たな道を進む。

2019年、吉成さんは36年勤めた天栄村役場を退職した。退職後は、それまで兼業でしていた農業に本腰を入れて取り組むことにし、59歳にして新規就農。農家に転向した。天候を見ながら緻密に作付けや稲刈りのタイミングを計算し、研究会で培った漢方栽培の知見も活かしながら、「日本一安全で美味しい米づくり」を目指している。その甲斐あって、吉成さんの作る米には根強いファンがつき、昨年、2022年に参加した米の品評会『米・食味分析鑑定コンクール』では念願の金賞を受賞している。これは全国からの参加者総勢5,320名のうち10位以内という快挙で、しかもそのうち3名が天栄村の農家だったと言う。

過疎化の進んでいる天栄村で「農業」で生きていくのは、一見すると難しいと思われるかもしれない。しかし、である。一般論で言えば〝無謀〟と思われてしまうかもしれない吉成さんの挑戦は、私たちにとても大きな勇気を与えてくれているのだ。それがなぜなのかを、これまでの彼の言葉を通して考えてみたとき、ひとつ思うことがあった。それは彼自身が実際に〝やっている〟ということである。自分で手を動かし、頭を使って、実践する。失敗や試行錯誤を繰り返して、あきらめず、続ける。そしてそれによって〝結果〟を残しているという点も、彼の行動に説得力を持たせているように思う。ないからできないのではない。ないからつくる。そして、徹底的にやる。これが彼から感じるエネルギーの源泉となっていることは、間違いない。

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プチトマトやトウモロコシも育てている吉成さん。今年の出来は上々だと、プチトマトを見せてくれた。

2022年の法改正により、新たに「過疎地域」として認定された地域を含めると、福島県の過疎地域は34市町村にまでのぼる。これはつまり、全59市町村である福島県のおよそ6割近くが過疎である、ということだ。天栄村もその中に含まれている。あれもない、これもないと、田舎に暮らしていると泉のように〝言い訳〟が湧いて出てくる。しかしそんなネガティブな言葉からつくられる未来は、果たして明るいものだろうか。「しょうがない」と諦めた先の未来を、私たちは次の子供たちに渡していけるのだろうか。吉成さんの田畑を見て、つくったお米をいただくとき、私はいつでも〝美しい〟と思ってしまう。同時に、純粋に〝美しい〟と思えるものを、私はつくれているだろうかと自問する。〝ほとんど過疎〟の福島県に住む私たちの進むべき道は、もしかすると天栄村の農業や、吉成さんのやってたきことの中に見い出せるのかもしれない。

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吉成さんのつくるミニトマトは糖度が高く、皮もやわらかいので、フルーツのような食感。

吉成さんに、今後の展望について聞いてみた。

「おにぎり屋がやりたいですね。おいしい米をつくることも大事だけど、僕は自宅から見るこの天栄村の風景が大好きで。近いうちの目標として、ここで、この景色を見ながら、自分のつくった米のおむすびを食べてもらうってことは、ぜひ実現したいと思っているよ。」

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美味しいもの・楽しいことを追及し、走り続ける吉成さんの周りには、県内外・国内外からたくさんの人が集まる。「大げさだよ」と彼は言うかもしれないが、吉成農園が次世代の私たちにとっての憧れであり、目指すべき存在となっていることは間違いないのだ。
天に栄える美しい村で、吉成さんのお米でつくったおむすびを食べられる日が、今から待ち遠しい。

 

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『吉成農園』吉成邦市(よしなり くにいち)
福島県岩瀬郡天栄村出身。大学卒業後、同村の村役場に就職。36年間の奉職の間に『ウルトラクイズ』の招致や、介護保険の導入、「天栄米栽培研究会」の立ち上げなど様々な実績と経験を重ねる。特に東日本大震災後、放射能の影響から天栄村の農業を守るために奔走した姿は、映画『天に栄える村』(2013年 桜映画社)に収められた。2019年に59歳で早期退職。新規就農者として『吉成農園』をスタートさせ、有機農法の米づくりを中心に、トマト、トウモロコシなどの栽培をしている。2022年、米の品評会『米・食味分析鑑定コンクール』にて、総合部門金賞を受賞。5,320組のうち上位10以内という成績をおさめた。

▶吉成農園Webはこちら

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『ff_私たちの交換日記』は、暮らしの中の「衣食住美」を通して“サステナブルな選択”を考える、福島発のメディアです。

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