《ファインダー越しに見る福島》私はここで生きていく。
はじめまして。高橋由香です。皆からはケンケンと呼ばれています。
普段は農業に関わりながら、フリーランスのカメラマンやライターとして、主に福島県内で活動をしています。今回こちらで記事を書くにあたって、自己紹介も兼ねてやはりまずは自分のことをお伝えしようと思ったのですが、農業にカメラマンに執筆業に…いまだに自分が何屋なのか分からないなと改めて感じているところです。でも、その色々が実は私の中ではつながっていて、今の自分にとってすべてが必要なことだと思っているのも確か。
今回はそんな私、ケンケンこと高橋のこれまでの歩みと感じていることを、お写真とともにお送りしていきます。
Uターンして気がついた「福島っていいな」
福島県で生まれ、大学進学を機に関東へ上京。卒業後に再び地元に戻ってきて、はじめに就職したのが出版社でした。編集部に配属され、自分の足で県内各所を周って取材をしていく中で感じたのは、「福島っていいところだな」ということです。実はそれまで地元に対してネガティブなイメージ(田舎・保守的)を抱いていたのですが、それもこれも自分の〝見る目〟がなかったからだなと。きちんと知って触れていけば、福島にはたくさんの出会いや見たことのない景色が広がっているということに気づいたのです。
これからもっと福島を知りたい、取材をしたいと思った矢先に起こったのが東日本大震災でした。3月11日の後もひん発する余震と見えない放射能被害の不安の中、それでも私が感じていたのは、意外にも「これからも福島で生きていきたい」ということです。そしてその想いは、13年経った今でも変わっていません。
3.11後の不調から学んだ〝身体は資本〟ということ
しかし震災後の混乱の中、「福島で生きていきたい」と思いつつも、地元へ何も貢献できていないことへの焦燥感が募っていきました。「福島の魅力を伝える」という出版社の編集部の端くれとして、これまで取材させてもらったお店のために何か少しでも役立ちたいという、切迫した責任感のようなものもあったと思います。張りつめた緊張感と多忙な日々は、だんだんと私の身体に支障をきたしていきました。そして気が付くと、〝食べ物を受け付けない身体になってしまっていたのです。
飲食店の取材も多い中、この状態は私にとって危機的なものでした。応援したいという気持ちで足を運んだ取材先で、出していただいたものが食べられない。ついに「食べること自体が怖い」という状態にまで陥った私は、思い切って休養をとるという選択をしました。
この時はじめて〝身体が資本〟ということを身をもって学んだのです。
休養期間中にまずは〝食べるもの〟を見直そうと栄養学を学び、食の奥深さにはまった私はその後、夜間の調理師専門学校に通いました。職人気質の料理の世界にも魅了され、卒業後はホテルの調理として再就職。その後も紆余曲折ありながら、結局いまは「農業」という形で食のおもしろさを体感しているところです。
〝好きなことができない〟が隠れた原因だった
振り返ってみると、私の不調の原因は〝ストレス〟が大きかったのではないかと思っています。そしてその〝ストレス〟を丁寧に分解していくと、そこには「好きなことができない」という理由が隠されていたのではないかと思っています。私の好きなこと―― それは足を使って地をまわり、人と関わりながら新しいことを知ること。そうやって経験を通して学べている時、私はとてもワクワクとした嬉しい気持ちになるのです。
私たち世代は、「好きなことでは飯は食えない」と言われて育ってきました。私も漏れなく親から言われてきたクチです。だけど一方で、「好きなことだからこそ続けられる」とも言えるのではないかと、強制的に自分を見つめ直した経験を通して私は今、心の底から思うのです。
相変わらず西へ東へと忙しない日々を送っていますが、自分が喜ぶ方へ足を運び、無我夢中で仕事に取り組むことで、私は少しずつ自分を取り戻せている気がしています。
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あ、最後になりましたが実は私、写真も撮っています。学生時代からちょっとずつ続けていたのですが、不調を経験して改めて「これも私のやりたいことだ」と気が付きました(笑)。現在はカメラ片手にフリーランスとして県内外を駆け回っています。
このコラムでも、私の撮った写真をたくさん載せていきますので、ぜひ私のファインダー越しに「福島のいいところ」を感じてもらえたら嬉しいです。
では、今回はこのあたりで。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました!
次回は今取り組んでいる農業について、少しご紹介していこうと思います。
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