ここで生まれ育っていなくても 〜私と福島の関係性〜
縁もなければ、所縁もなかった。
茨城県南部出身の私にとって
福島への印象はこれといってなかった。
茨城県の上、ハワイアンズがある楽しい場所、
電車を寝過ごしたら着く場所、
そのくらい。
東日本大震災の時、中学生だった私は
自分のことで精いっぱいだった。
今思えば、両親はよくニュースを見て
福島から出るものの行方に注目していた。
でも、その程度の認識。
可も不可もなくという
むしろ一番疎遠な関係だった。
だけど不思議なことに今、私の軸は福島にある。
生まれ育った茨城でもなく、
大学時代を過ごした長野でもない。
社会人になって住んだ東京や横浜でもなく
今私は、フィリピンと福島の二拠点で暮らしている。
(フィリピンにいる話はまた今度)
ffで文章を書かせてもらうこととなった、一回目。
今回は、福島と私の関係を整理していこうと思う。
福島はいいところ。だけど暮らす覚悟はなかった。
福島に関わり始めたのは5年ほど前、
付き合っていた彼が福島に住んでいたからだった。
その頃学生だった私は、長野から福島へ通い、
彼の行くとこ行くところについて回った。
でもそれは、少しでも長く一緒にいたいから
とかいう甘い理由ではなく(笑)、
彼がいつも楽しそうなこと/場所/人たちと一緒にいたので、
これは何か面白いことに出会えるぞと
ワクワクとした好奇心からの行動だった。
案の定、いろんな場所に行って、いろんな人に出会った。
そこには、楽しそうに土地を語る人たちがいた。
見ず知らずでも受け入れてくれる人たちがいた。
都路から大熊へ抜ける道の途中、
見上げれば広葉樹のおおらかな枝と程よい木漏れ日があって、
下を見れば岩を乗り越えて流れる水があった。
人も自然も、なんて心地いい場所なのだろうと思った。
家から見る夜空は今でもにやけてしまうほどの絶景だ。
これだけ好印象だった福島だったけど、
それは“訪れる”立場だったからだ。
福島へ訪れる生活が2、3年程続き
彼との将来も考えるようになったころ
会社の人事異動の話も重なり、
福島に“住む”ということがリアルになってきた。
そうなって初めて、福島で暮らすことに壁を感じ始めた。
まず、出入りの多い都会に住むのとはわけが違う。
その地域には地域のつながりがあって、歴史がある。
一度大きな出来事があった地域だからこそ
そこに残る決断や、戻って住む決断をしたひとたちには
土地に対する強い想いがある。
だから、中途半端な気持ちでは住めないと思った。
地元でもなければ、進学でもない。
特別、自分で望んでここに来たわけでもない。
そもそもペーパードライバーの私は雪深い土地で生きていけるのか…
そんな曖昧な状態で私はここに住んでいいのか…と
焦りが芽生えた。
ふたつの“孤独”にはさまれて
田舎に住むハードルはいくつかあると思うが
私にとって一番のハードルは“孤独感”だった。
もともと人は好きだけど、
一人の時間も好き。
知らない土地での一人暮らしは
何の問題もなかった。
ただここでは訳が違う。
人と意図的に関わろうとしなければ、
本当に孤独になってしまう感覚があった。
私と彼の暮らしていた地域では、
コンビニは家から歩いて1時間。
もちろんその間にカフェや商店はない。
家にいれば風が山を走る音
風で家がきしむ音
一歩外に出れば季節の虫の音
草がこすれる音…
こんな些細なことに気づいてしまうくらい
本当に何もないのだ。
家のある位置が田舎過ぎたのか
ネットも思うように届かない。
Youtubeで時間をつぶすこともできなければ
誰かにメッセージを送ることも難しい。
だからと言って一人で行く当てもないし、
車がなければ行く手段もない。
彼の周りの素敵な人たちにも
たくさん会わせてもらえたけど、
でもそれはすべて彼を通しての人間関係。
気を遣うことの方が多く、緊張からか少し居心地が悪かった。
物理的な“孤独感”と
人間関係からの“孤独感”。
このふたつの“孤独”にはさまれて、
このままではここで暮らしていけないと思った。
でも同時に、『ここで暮らせるようにならなければ』
という焦りもあった。
心地よいから、続けられる。
悩みながら一年くらい過ごしたが
あるときを境に、“ふっ”と、
『なにも目的がなくてもここにいていいんだ』と
思えるようになった。
すとんと肩の力が抜けた感じがした。
福島に”自分の“好き”を見つけたのだ。
そして自分の”好き”から繋がれた人たちがいた。
それから彼の紹介で会った人たちとも
気楽に会えるようになった。
地域で開催するマルシェのお手伝いをしたり
地元の人と山菜採りに出かけたり
より深く広く地域を知って、愛着を持つようになった。
そうして私と福島の関わりは今年、6年目を迎える。
彼とも昨年結婚し、いよいよ本格的に福島に軸を据えることとなった。
今はもう、当時のように気負ってはいない。
程よい距離感、心地よい距離感で、福島とつながれている。
私にとっての持続可能性
きっと私にとって福島は特別な場所ではない。
偶然ここにいて、そこに私の好きな場所や好きな人ができた。
それだけのこと。
今いる場所や周りの環境に少しでも“愛”を持てたなら
それが私にとっての“持続可能性”なのだと思う。
実は「サステナブル」という言葉も
「持続可能性」という言葉もまだしっくりは来ない。
けれど私の“好き”がそこにある限り、
この関係性は途絶えることなく続いていく。
地元の茨城を好きなように
大学で暮らした長野を好きなように
私は福島も好きだ。
私はこれからも”好き”を見つけながら
福島と無理なく、心地よく関わっていく。
コメント ( 2 )
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みおちゃん、記事読みました。
「よそもの扱い」という無言の壁が迫ってくる一種恐怖感が行間に溢れていて胸が熱くなりました。
どこに行っても所詮nativeにはなれないけど、大丈夫、好きな人と一緒ならそこが地元(^_^)
言葉には翼があるからどこにでも飛んでいけるよ!
元気でいてね!
Aki
Aki 様
こんにちは。エディターの佐藤です。
温かいコメントをありがとうございます。
みおちゃんの内面が表れた優しい言葉が、
たくさんの方に届いたようで本当にうれしく思います。
今後とも、みおちゃんはじめ私どもの発信を楽しみにしていただけますと幸いです。