虫たちの声を聞きたい
蒸し暑かった夏も過ぎて、毎日我が家のボーボー畑からは秋の虫の声が聞こえて来ます。
最近、近所の方と何気なくお話をしていた中でふと、「昔はカブトムシが沢山いて、子どもたちが朝早く獲りにきていたんだけどね。今では全然見なくなっちゃったね。どこいっちゃったんだろう」という会話になりました。
この地区に引っ越して3年ほど経ちますが、そう言えば立派な角のカブトムシを見たのは引っ越してきた年の夏だけ。その次の年は小さなメスを3匹ほど、そして今年は一度も見ていません。
除草剤や農薬が大きく影響し、ニホンミツバチが姿を消している話を聞いたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、虫たちのバランスが崩れるということは、私たち人間の暮らしも不健全になる、ということを意味しています。
土と、水と、空気。
私たち人間は、心から望んで汚しているのでしょうか?
答えはもちろん“no”でしょう。
例えば除草剤や農薬を使うことも、「草を生やしてみっともなくしたくない」、「野菜を育てるために、作業効率を上げるために雑草を生やさないように」という視点から見たら、それもある種の愛とも言えます。
ただその愛は、非常に狭い世界の中だけで通用する愛だとも思うのです。
使われた農薬や除草剤は微量でありながらも作物に残り、あるいは空気中に浮遊して、少なからず私たちの体に良くない影響を及ぼします。毎日使う食器用洗剤でさえも、それが合成洗剤であった場合、下水の浄化システムではきれいにされずに、生活用水として私たちの暮らしに再び戻ってきます。
一旦は、目の前にある自分の世界はきれいになるかもしれません。スッキリとした爽快感も得られるでしょう。でもその満足や爽快感は、その先にも続くのでしょうか?自分から離れた先の世界をも、幸せにしているでしょうか?
私たち人間は、人間だけでは生きられません。健全な土も水も空気も、植物、動物、虫、微生物の存在無しには得られないものなのです。人間より小さいから、見えないから、ついそれらの存在を忘れてしまいがちになりますが、私たちは“すごい愛”に包まれながら、許されながら生きています。
“みんなの家である地球”
うちのように、ワイルドなボーボー畑にしましょうとは言いませんが…(笑)
「最近、虫の声を聞かなくなったな」と感じたら、いつの間にか虫たちを隅っこに追いやっていないかな、と、ちょっと立ち止まって考えてみませんか?暮らしのそういった些細な変化に気持ちを向けることが、きっと自分の先に愛をつなぐ“はじめの一歩”になるのだと信じているのです。
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