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過疎地域に伝わるディープな祭り。長沼の桙衝神社太鼓獅子

桙衝神社太鼓獅子舞 2023

夏の終わり――どこからか聞こえてくる太鼓の調子や笛の音色に、懐かしさを感じる夕暮れ。
そんな〝正しく日本の夏〟といった情景を思い出に持つ人は、案外多いかもしれない。私もまたその一人である。

2023年10月1日。福島県須賀川市にある長沼地域の桙衝(ほこつき)神社では、コロナの影響もあって5年ぶりの神輿渡御と太鼓獅子舞の奉納が行われた。
過疎に認定されている長沼地域、その中にあるさらに小さな桙衝地区で、こんなにも歴史と伝統がある祭りが存在していたことを、郡山市育ちの私は知るよしもなかった。神社の祭りの経験と言えば、安積国造神社の秋季例大祭に小学生の頃参加し、それ以降は屋台をメインに楽しむ、くらいだ。その地元に住み続け、かつ男性だったならば、祭りにはもっと縁があったかもしれない。

同じく秋に行われる県内各地の賑やかで大規模な祭りに比べると、桙衝神社のそれは一見地味そうに見える。…が、これほど堅実な祭りにも出会ったことはない。ゆっくり時間をかけて作り上げられるその空間は、普段なかなか感じることができない独特の優雅さに包まれていた。
今回は、そんな長沼地域の伝統ある祭り『桙衝神社太鼓獅子』にお邪魔し、受け継ぐことへの想いについて話を伺ってきた。

桙衝神社と数年に一度の太鼓獅子舞

亀が伏せている様子に見えたために「亀居山」と名がついた等、由来に諸説ある山に鎮座する「桙衝神社」。約2000年前、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際に立ち寄り、柊の八尋の矛(=桙)を衝き立て、軍神の武甕槌神(タケミカヅチノカミ)を祀ったのが神社の始まりとされている。
社殿をはじめとする敷地内の建築物は、江戸時代の建築様式が詰まった大変貴重なものであり、県指定文化財および市指定無形文化財にも指定されている。奈良時代から続くという歴史の深さも、この神社の神聖な雰囲気を一層際立てる。
「太鼓獅子舞」は旧暦のうるう年とされる3~4年ごとに行われ、10月の第一日曜日に舞が奉納される。

桙衝神社 神社 長沼

長沼地域の桙衝神社は、平安時代の「延喜式神名帳」にも載るほどの古社。

太鼓獅子の例祭は2日間にかけて行われる。
まず「宵祭り」と言われる一日目には、御神体が本殿から神輿に移される。闇夜に提灯だけが灯るなか執り行われる、とても厳かな儀式だ。
二日目の「本祭り」では、社殿での宮司による祭典が行われた後、祭りの見どころである神輿渡御(みこしとぎょ)と、太鼓獅子舞が行われる。道開きの神・猿田彦と宮司を先頭に、邪気を清め祓う「獅子・太鼓・笛・神輿」が順番で並び、宵祭りで神輿を安置した「お仮舎」から社殿までの200mの参道を、およそ2時間かけて練り歩く。
太鼓を叩く子供たちは化粧を施し、黄色・水色・桃色といった色鮮やかな衣装に身を包む。太鼓台には多くの花飾りがつけられるが、これら華やかな装飾は元禄文化の影響からきているらしい。

桙衝神社 太鼓獅子舞 花飾り

細く割られた竹にくくり付けられた紙花飾りが、太鼓台の屋根に何十本も突き刺さる。この飾りは祭りが終わると縁起物として観客に配られる。

子供たちの太鼓囃子

太鼓獅子の準備は、祭りの約1ヶ月前からはじまる。地域の集会所に子供と大人が集まり、平日の夕方から夜まで練習をする。大太鼓と舞は主に中学生が担い、小太鼓は小学生も混ざって叩く。
これら舞や太鼓など祭りに関することのほとんどは、口承で伝えられると言う。子供たちは大人の歌う囃子やリズムを耳で覚え、撥(バチ)を持って動きながら、体に沁み込ませるように踊りを覚える。
お囃子は3番まで続き、一通り演奏し終わると、演者を交代してまたはじめに戻る。本祭りでは神輿が本殿に戻るまでの2時間のあいだ、この1から3番が延々と繰り返される。

桙衝神社 太鼓獅子舞 大太鼓 中学生 お囃子

鮮やかな衣装をまとい、大太鼓を叩く地元の中学生。

桙衝神社 太鼓獅子舞 中学生 お囃子 舞

独特の節と調の囃子を、舞いながら叩く。

一角の獅子

一本ツノが生えている獅子の頭。そこからのびる年季の入った大きな幌(ほろ)に、大人6人ほどが覆われて舞う獅子。後方から竹を使って幌を持ち上げると、獅子の体は2メートルにも及ぶ高さになる。お囃子に合わせてゆっくりと進む…というよりは、横に大きく振れているような独特の足運びが特徴で、何本も足がうごめいている様から百足(むかで)獅子とも呼ばれてきた。

桙衝神社 太鼓獅子舞

一角と横に大きく振れるのが特徴の太鼓獅子

桙衝神社 太鼓獅子舞 百足足

幌の中で獅子を舞う6人と竹筒で幌を支える2人、合わせて8人で一体の獅子を表現する。

祭りが地域にもたらすもの

旧暦に則った3年に一度という開催スケジュールや、宵祭から翌日にかけて神輿を守るために「寝ずの番」を置くなど、この祭りの大きな特徴は『昔からのルールや段取りを受け継いでいるところ』にある。現代では簡略化できることもあえてやり続ける、その意義と理由を保存会の松川さんはこう語る。

「祭り自体は神様のためですが、祭りがあることで桙衝地区のみんなが一丸となるんですよね。これが大事な目的の一つです。この祭りを、たとえば〝イベント〟にしてしまうなら、段取りよくしてシンプルに、となると思いますが、逆にこの段取りの悪さや大変さが、人々を一つにしているのではないかと思います。丸々1ヶ月かけて準備して練習することで、子供たちと保存会のメンバーの絆が深まるなど、そういったことが地域にとって大切なことだと思っています。」

桙衝神社 太鼓獅子舞 保存会会長 松川勇治さん

桙衝神社太鼓獅子保存会の松川勇治さん

過疎地域で太鼓獅子を存続させること

長沼地域は2022年に過疎地域となった。桙衝の隣にある木之崎地区で開催されてきた八雲神社の神輿渡御祭も、継ぎ手がおらず途絶えてしまったと言う。
かつては桙衝の太鼓獅子も『桙衝地区の男、かつ長男だけ』が参加条件だったそうだ。現代ではそのルールはなくなり、特に太鼓囃の子供たちは性別の区別なく役割を担っている。保存会の松川さんとしては、桙衝地区以外に住む人や、祭りに興味のある人の参加も今後は検討・歓迎していきたいとの考えだ。
祭りは地域のものであるし本懐を曲げてまでとは言わなくとも、柔軟に間口を拡げて、自分たちの大切なものを共有できる「関係人口」のようなアイディアを迎え入れるスタンスは、『のこしつないでいく』ことを真剣に考える時に、とても大事になってくるのではないかと思う。

桙衝神社 太鼓獅子舞 集合写真

平成30年の開催では20人を超えていた子供の参加人数。今回の令和5年の開催では15人ほどに留まった。

日ごろ打楽器を生業のひとつとしている私だが、太鼓囃子を聴きながら「何か少しでも貢献できることはないか」という気持ちが、自然と芽生えてきた。そのくらいこの祭りには、観た人を魅了する何かがある、ということだろう。
三歩進んで二歩下がる。ゆっくり進んでいく獅子を皆で見守りながら、お囃子の音色に高揚する。「早い方が良い」という価値観に染まってしまった現代の人にこそ、この時間を味わってもらいたいとつくづく感じる。次の旧暦うるう年が、今から楽しみだ。

祭りを見るには

次回は2025年に開催予定。
太鼓獅子(二日目 本祭り)の観覧方法:
桙衝神社敷地内駐車スペースあり。亀居山を県道108号線に沿って車をゆっくり進めると、山の中に通ずる一本の小道が現れる。緩やかに登っていくと広々とした砂利のスペースがあり、そこに各々駐車が可能。
参道の横から・行列の後ろをついていく・本殿に先回りして眺めたり等、思い思いの観覧方法で楽しめる。

桙衝神社: 〒962-0124 福島県須賀川市桙衝字亀居山
アクセス: 須賀川駅矢田野経由長沼行き 桙衝神社バス停から徒歩3分

参考文献:地域文化遺産ポータル
取材協力:松川勇治さん(桙衝神社太鼓獅子保存会)

アンドウエリ

須賀川市 / 郡山市出身。152cm。 虚無と祈りを往復するクヨクヨ音楽家。 『暮らしにちかい 音楽の愉しみをつくる』を自身の軸に、打楽器・マリンバを演奏す...

プロフィール

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