『モデル・クリエイティブディレクター』服部奈々さん
奈々さんのことを初めて知ったのは、いつだろう。
私がまだ福島にUターンする前であることは間違いない。誰かの知り合いか友人か、とにかく「服部奈々」という存在を知ったとき、私はその美しさに釘付けになった。大げさにでなく、本当にである。
福島を拠点にモデルとして活動している彼女を、県の観光PRの中吊り広告などに見かけた時などは、ひとり山手線の車内で心躍らせた。
私にとって「服部奈々」とは、つまりは福島を代表するミューズなのである。
昔から“つくること”が好きだった
奈々さんの生まれは、福島県須賀川市。中でも市の西部に位置する「長沼地区」の出身で、大学進学までの18年間をそこで過ごした。長沼と言えば、その北部に位置する岩瀬地区と並び、2022年に「一部過疎」として過疎地域に認定されたエリアである。若年層を中心に人が減り、地域の唯一の高校も廃校となった。奈々さんが学生だった頃から、市中心部への交通アクセスは決して良いとは言えず、彼女も街中の高校までバスで40分ほどかけて通学していたと言う。
私は奈々さんという人のことを、少々、というかひどく勘違いしていたように思う。
姿かたちの美しさや「モデル」という肩書きから、いつでも華やかさの王道を歩いてきた人なのだろうと、勝手に想像していたのだ。しかし、彼女の口から出てくる言葉のひとつひとつは、私のつまらない想像をはるかに超えてたくましく、芯の通ったものばかりなのである。
彼女の現在へとつながるきっかけのひとつが、高校時代の文化祭だ。文化祭で着る衣装を制作したことで、“つくること”の楽しみを感じた奈々さんは、東京のファッション専門学校への進学を希望する。しかし、親の反対によりあえなく断念。「県内の」「私立ではない」という条件のもと、福島大学へと志望を変えて受験勉強に臨んだが、この時すでに高校3年の夏を迎えていた。
「志望校を変更したのが遅かったので、とにかくひたすら周りに追いつけるように勉強しました。あまりにもペンを持ちすぎて腱鞘炎になってしまって、包帯を巻きながら勉強を続けたのですが、それにはさすがに友達も引いてましたね(笑)」
努力の甲斐あって、無事に福島大学へ合格。“つくること”に少しでも関わりたいと、「衣食住」について学べる、主に家庭科教員の育成を目指す学科へと進学した。
・・・
しかし新生活を前に、事態は一変する。
2011年、入学直前の3月に東日本大震災が起こったのだ。
「3月11日は、ちょうど一人暮らしのアパートを契約しに行った日だったんです。」
入学直前の震災と原発事故。福島県内だけでなく日本中が混沌とする中で、奈々さんの大学生活はスタートした。
3.11で変貌したキャンパスライフと、孤独
3月11日に地震が起こり、余震や原発事故が続く中、福島大学の入学も5月に延期された。やっと入学となった後も、学生たちは特殊な環境下の中でのキャンパスライフを求められたと言う。
「放射線の影響がどれほどあるか分からないので、当初はマスクの着用が推奨されていました。本当に、コロナが流行し始めた頃と似たような状況です。一方で、今ほどオンラインでの対応が充実していなかったので、そんな中でも大学に通って授業を受けていましたね。」
思い描いていたキャンパスライフとは、あまりにもかけ離れた現実。新生活のために揃えた家具や電化製品も、倉庫のある沿岸部が甚大な被害に遭ったため、キャンセルになってしまったそうだ。最小限の生活用品と不安定な状況下で、奈々さんは寂しさを感じていた。
「大学4年の頃ですかね。一人暮らしでちゃんとしたものを食べられてない新入生と、地域の人たちを繋げるようなことをしたいと思って、ひとりで食堂をはじめたんです。“服部食堂”と名前をつけて、週1で週替わりの定食を出すっていう。地域の野菜を使って、おいしくて栄養のあるものを食べてもらうことで、学生も地域も元気になるような、そんなことがしたかった。」
実家が農家ということもあり、消費者からの「美味しい」を、直接生産者へ届けられることも喜びだった。ひとりで始めた食堂も次第に手伝ってくれる友人が増え、奈々さんはこの取り組みから「農家」と「消費者」を繋げるということに興味を深めていく。
私を通して「福島」を見てもらいたい
大学3年を迎え就職活動で東京へ行く頻度が増える中、あるとき奈々さんは街で「ヘアモデル」のスカウトを受ける。それがきっかけで、当時関東で最大級だったヘアメイクショーへの出演を果たし、プロのモデルと同じステージに立つという経験を持つことができた。
同時に卒業の進路についても真剣に考えることが増えた。「服が好き」という理由で大学4年間はアパレルショップでアルバイトをしたが、可愛い服に囲まれて仕事ができる一方で、毎日大量に倉庫から送られてくる服の量と、それらと引き換えに在庫に戻され分されてしまう服の多さに、次第に心を痛めていったと言う。
「服が好きなだけに、シーズンオフや売れ残りだからと言って、次々に服が“用済み”にされていくことが、どうしても辛くて。震災のこともあり、これって“持続可能”なビジネスではないよなと、違和感が膨らんでいったのは確かです。」
就職先もアパレル関係を希望したが、中でもリサイクルに力を入れている企業を志望し、内定をもらった。しかし、同時期に仕事が増え始めていたモデル業とのバランスを考えた結果、奈々さんは「就職」という道を自ら辞退することを選ぶ。
「悩みましたが、“就職”という形式に縛られない働き方をしてみたいと思ったんです。モデルとして活動をしていく中で、“福島”という存在が自分の中で強くなっていったのを感じていたんですよね。“私”という被写体を通して、その先の“福島”を感じてもらったり、実際にロケーション撮影で県外のカメラマンさんが福島まで来てくれて、いいところだねと言ってくれたり。都会の華やかさの中でモデル業をするのもいいけれど、私はここで、福島を知ってもらうための存在としてモデルをやってみたいと、そう思ったんです。」
農業を“魅せる”ためにできること
モデルとしての活動をしながら、震災後に福島の女性を中心として立ち上がった『女子の暮らし研究所』で、地元の伝統工芸品を使った商品開発やECショップの運営、ラジオ企画などに携わり、幅広く経験を積んでいった。
そんな“自分の働き方”を模索している中で、奈々さんはとある企業と出合う。
「福島から日本の農業を変えていく」をビジョンに掲げ、特に震災後、美味しくて安全な農産物を届けるために頑張っている農家さんを、デザインや言葉の力で世の中に知ってもらおうという地元企業だ。奈々さんはその理念に共感し、入社を決めた。
「実家が農家なので、震災後の被害や課題については身近に感じていました。大学時代に興味を持った“農家と消費者をつなぐ”という点からも、会社の理念に共感しましたし、“魅せる”という部分に関しては私のこれまでの経験も活かせるのではないかと思ったんです。」
2016年に入社をしてから今に至るまで、6次化商品のブランディングやパッケージング、農家さんのWebやロゴ制作までを担うクリエイティブディレクターとして活躍し続けている。
2022年、新しい出発と挑戦
実は2022年、大学卒業後から拠点としていた福島市を離れ、奈々さんは地元である須賀川市長沼地区へUターンをしている。2016年に結婚をし、翌年に長女を出産。昨年には次女も生まれ、家族4人での移住となった。理由は「農業を継ぐため」だと言う。
「コロナの影響もあったのですが、もともと子供にはのびのびとした環境で育ってもらいたいと思っていたんです。であれば自然豊かな長沼に帰ってみようかなと。祖父と祖母が専業で、父が兼業で農家をしているのですが、年齢も重ねてきていますし、このタイミングで私たちが農業を継いぐのもありなんじゃないかと。」
奈々さんのパートナーは飲食店での経験が長く、現在は調味料などの商品開発をする企業に勤めている。仕事を辞めて、今年の夏には専業農家として就農をする予定だそうだ。農業の経験はないが、「食」というくくりで言えば十分に経験を活かせるところもあるのではないかと、奈々さんは考えている。
最後にひとつ、聞いてみたい質問があった。
奈々さんにとって、「美しさとは何か」ということだ。
あまりにも漠とした問いだが、彼女の中にはもしかするとその答えがあるのではないかと、なぜか思えてならなかった。その美貌だけでなく、凛とした佇まいや思慮深い言葉選びから、そう感じたのかもしれない。
奈々さんは、こう語る。
「見た目の美しさは、人によってそれぞれ感じ方が違いますよね。あの人にとってこれは美しいけど、他の人にとってはそうでもない、とか。でも、内面から湧き出てくる“美しさ”は、“芯”があるかどうか、だと私は思っているんです。つまりは“自分なりの生き方”があるかどうか、ということでしょうか。そういう人たちに出会うことで、私自身も学びや刺激を受けて、ここまでこれた気がしています。」
ここまできてようやく、私は奈々さんの美しさの理由が分かった気がした。あの画面越しに見える彼女の美しさとはつまり、彼女自身の内面の“強さ”なのだと。そしてそれは、誰かと比べることのできない、彼女自身で選び、歩んできた道によって築かれているものなのだと。この人は本当に、福島の美しさの結晶のようだ。
「服部奈々」のこれからにも、目が離せない。
服部奈々(はっとり なな)
福島県須賀川市出身。大学在学中からモデルとしての活動を開始し、当時関東最大級の『HOYU SPLASH 2014』へモデルとして出演。その後、福島県を拠点としたフリーランスモデルとして活動する傍ら、福島の伝統工芸品を使った商品開発などを行う『女子の暮らしの研究所』にて、ECショップやイベントの企画運営に携わる。2016年に『concept-village inc.』に就職。クリエイティブディレクターとして、農産物の6次化ブランディングやパッケージデザインなどに取り組んでいる。
なお、奈々さんには当メディアのメインビジュアルも務めていただいている。
▶モデルの活動はこちら:Instagram @7_hattori
▶クリエイティブディレクターのお仕事はこちら:concept-village inc.
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。