地方で「母」になるための見えざる壁(前編)――不妊治療と無痛分娩の現在地
昨年、2025年春。私は第一子を出産しました。
およそ4年の不妊治療を経ての、待望の妊娠・出産。待ちわびた我が子を手に抱いた瞬間は、おそらく生涯忘れることはないでしょう。
母になるために粉骨砕身してきた期間と、母になってからの日々。どちらが大変かと聞かれれば、それぞれに恐ろしく大変、というのが私の回答になります。
不妊治療や出産・育児全般にかかわる大変さもさることながら、私の暮らす地方では、また田舎特有の壁?トラップ?のようなものが随所に散りばめられていて、しかもそれらがことごとく〝見えにくい〟ものであるがために、いちいちつまづきながら時に転げながら、ようやく今ここまでたどり着いてきた、という感じです。
ちょっと話が抽象的ですね。 ここからはもう少し、その〝大変さ〟の正体について具体的に触れていこうと思います。
不妊治療の話
まずは不妊治療の話から。
私が不妊治療をはじめたのは、34歳のとき。今この原稿を書いている時点からだと、およそ6年前(!)ということになります。
不妊治療をしてみようと思ったきっかけは、なんとなく「そろそろかな〜」という気軽な気持ちから。当時、制度の過渡期にあり、拡充へと向かっていていた不妊治療に関するサポート体制のニュースも後押しとなりました。
当時、私の暮らしている地域から通える範囲にあった不妊治療をおこなっている病院は、ざっくりと2~3軒。選ぶほどの違いもないなと、一番近そうなクリニックを選び通院をはじめたものの、そこの医師がだいぶ癖が強めで、時間もさることながら精神的な負荷(ストレス)がかかり、最終的に転院することになりました。
ここがまず、地方で不妊治療をする場合の「見えざる壁1」なのですが、とにかく不妊治療対応している病院が少ない。
私が通える範囲に2〜3軒とは言うものの、そのどれもが人工(体内)授精以上のステップ、いわゆる「高度生殖医療」と呼ばれる体外・顕微授精はおこなえない状況。それ以上の治療を望むなら、片道数時間かけての別地域(越県もふつう)での受診となるというから驚きです。
ただでさえスケジュールが読めない不妊治療。片道数時間かけて「また明日来てね」などと言われて対応できる勤め人が、いったいどれほどいるというのでしょう。
いや、それでもクリニックはどこも常に激混み。つまりは融通をなんとかつけて通っている女性が、それほどたくさんいるということなのだと察します。
無痛分娩の話
さて、転院をして顕微授精での治療を続け、4回目の胚移植(育った受精卵を子宮に入れる治療)で出産までいたったわけですが、私の体験した地方医療のモヤモヤはまだもう少し続きます。
次は「無痛分娩」の少なさについて、地方医療の「見えざる壁その2」です。
無痛分娩に関しても不妊治療同様、提供している病院も少ないのがこの地域の現状です(通える範囲に2軒のみ)。加えて無痛分娩はなぜか選択する妊婦も少ないように見えます。
たとえば私の出産した病院では、おおよそ月に30件の分娩があるうち、1件程度(当時)が無痛分娩とのことでした。確かに、無痛分娩をした私の分娩には若い医師がOJTされていたし、佳境では見学の医師も増えてきて大所帯分娩になっていたし…。それもこれも、事例が少ないので「今のうちに勉強しとこ」ということでもあったのかと、妙に納得できます。
分娩方法に関してはもちろん個人の自由だと思うのですが、まずは選択肢として用意されていること、そして十分に認知されていることが大切なのではと思います。
ちなみに無痛分娩をしてみてての私の感想としては、「やってよかった」のひと言。
あくまで結果論ですが、分娩時、子どもの肩が引っ掛かってなかなか出れず、子宮をぐりぐりされたりなどの様々な処置をされたため、「無痛でなければ痛くて耐えられなかっただろう」という話をあとから医師に聞かされました。もっと早く緊急帝王切開になっていたかもしれない、と。
それでも最後まで経腟分娩で乗り越えられたのは、まさに無痛分娩だからでしたし、もちろん最後までスムーズに出産を終えられれば体力も気力も温存され、その後の育児にも前向きにのぞめるだろうなと思います。あくまで個人の感想ですが(笑)。
「無痛分娩ってどんなだろう?」「ちょっと抵抗あるんだよな」という方がいらっしゃったら、ひとつの例として参考にしていただけたら幸いです(無痛分娩の費用も、もっと広くカバーされる対象になればいいのにね…ぼそ)。

選択肢があること。そして、それを自らの意志で選べること。
医療技術がどれほど進歩しても、アクセスできる環境が限られていれば、それは地方に暮らす私たちにとって「存在しないもの」と同義になってしまいます。移動にかかる時間や精神的な負荷を、個人の「融通」や「覚悟」という言葉だけで片付けるのではない社会へ。まずは地域の環境のリアルを知り、声を上げていくことが、この見えざる壁を少しずつ崩していく第一歩なのかもしれません。
後編では、退院した後に待ち受けていた、産後サポートを巡るさらなる「トラップ」と、孤立しがちな家庭を支える地域社会のあり方について考えていきます。
文・写真:エディター・佐藤美郷
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