『omoto/生活直売店 店主』鈴木智子さん

omoto 生活の中の布と鉄 鈴木智子さん

ある日、国道を車で走っていると小さな平屋の軒先が賑わっていた。大型のチェーン店が立ち並ぶその一角にコーヒースタンドやテントが置かれ、なにやら楽しげな雰囲気だ。それからというもの、その場所が気になって仕方なくなった。聞くと、満月の日にだけお店がオープンするのだという。はじめて訪れたのは、4年ほど前だったろうか。お店に入ると、外の喧騒とはまるで異なる澄んだ空間が広がっておどろいたことを覚えている。店内には商品や暮らしの道具がにぎにぎしくあるのに、なぜか不思議と居心地がいい。
そこでいつも、パタパタと忙しそうに動き回っていたのがオーナーの鈴木智子さんだ。言葉を交わすたびに「なんて素敵な人なんだろう」と、ひそかに心惹かれていた。

満月と新月の日にオープンする「生活直売店」

omoto 生活の中の布と鉄 生活直売店

そのお店は「生活直売店」という。セレクトした日用品や食品が並び、無添加の焼き菓子店やごはん屋さん、洋品店、鍼灸院など、智子さんが心からよいと思うお店が月替わりで出店をする。現在は、満月と新月の日の月2回オープンしていて、この日を目指して県外からわざわざ訪れる人も少なくない。

場所は、JRいわき駅から伸びる大通りを車で走らせ3分ほど。小さな平屋は、布作家の智子さんと夫で鍛冶職人の鈴木康人さん夫妻のブランド「omoto」のアトリエ兼自宅で、それぞれに服や小物、包丁を制作する傍ら「生活直売店」を営業している。

omoto 生活の中の布と鉄 生活直売店

 

この「生活直売店」はもともと、満月の日に友人同士で料理を1品持ち寄る「満月講」という会を開いていたことがはじまりだという。コロナ禍をきっかけに、人同士が会える機会をつくりたいと今の営業スタイルになった。その思惑どおり、毎月、買い物の場としてだけでなく、訪れる人たちの束の間の憩いの場にもなっているようだ。

とはいえ、ご夫婦の本業はものづくり。ふたりがつくるのは、生活に必要な道具だ。omotoの代表作は、康人さんが鍛冶で仕立てた包丁と、智子さんの藍染めのハギレをつなぎ合わせた包丁ケース。切れ味が悪くなったり、壊れたりしたら、何度でも手を加えながら生涯使い続けられる丈夫さがあり、生活の中の相棒といえる相手になってくれる。

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とにかくスピードが早く、ぼーっとしていたら振り落とされてしまいそうな現代とは真逆のものづくりだが、その魅力に惹かれる人は多い。
智子さんは、どうやってこのスタイルへ行き着いたのだろう。

自分の“好き”を貫く美学

「私、不器用なんですよ。今となってはほぼ誰も信じないけど(笑)」

こう話す彼女のものづくりの原点は、「新しいお洋服がほしい」というシンプルな願いからだ。3人姉弟の真ん中に生まれた彼女は、おさがり専門で新しい服をなかなか買ってもらえない環境で育った。鏡の前でひとりファッションショーをするほどおしゃれが好きなのに、欲しい服を買ってもらえない。不満を募らせた彼女は、小学生になると「買ってもらえないなら作ればいいんだ」とひらめいた。

手芸屋さんへ行き、型紙や生地を買い込んで見よう見まねで作ってみる。「もう、笑っちゃうほどめちゃくちゃな服ができました!」中学生になると、新聞広告で見つけた手芸通信講座に勝手に申し込み、洋裁のテキストを手に入れた。大好きな服作りは、何よりも夢中になれる時間だった。

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「とにかくファッションが好きだったから、中学の進路希望には『モデル』って書きました。当時は、ファッション関係の仕事はモデルとデザイナーしか選択肢を知らなかったんですよね。でも、それを聞いて『うちの子はどうなっちゃうんだろう……」と心配した母が、勝手にぜんぜん行きたくない高校へ推薦を出して、進学することになっちゃんたんです」

進学した高校は校則が厳しく、自由を好む彼女に合っているとはいえない環境だった。けれど、智子さんは周りに合わせることはなく、むしろ自分の“好き”を貫いた。

「私、限られたなかで最大限に楽しむ工夫をすることが得意なんです。だから、校則ギリギリを攻めておしゃれを楽しんだし、校外でファッションショーを企画したこともありました。モデルやメイク、カメラマンは友だちにお願いをして、お客さんは100人くらい来てくれました」

周りより、6倍努力しないと追いつけない

高校3年生になると、服が大好きな智子さんは東京の服飾専門学校への進学を夢見た。けれど、「次女にかけるお金はない」と家からの応援は得られず、「それならば!」と自分で学費を稼ぐことを考えた。

夏休みにアルバイトを掛け持ちし、毎日1日10時間のバイトをこなした。さぞ大変だったのではないかと聞くと、「それが楽しかったんです!」とけろり。「だって1つ目標を決めたら、それに向かってやるだけでしょう。あらゆる手段で叶えるだけです」

夏休みが終わって手にした給料は30万円。しかし、現実は厳しく、入学金を改めて調べてみると100万円以上は必要なことがわかった。「無理じゃん!」と思った智子さんは、あっさり諦めて自分のできる範囲でやれることを探した。

郡山や仙台の学校を検討するも、親元を離れると学費に加えて生活費も必要になる。アルバイトと学業の両立は難しいと判断し、地元の服飾専門学校への進学を決めた。全校生徒は5人。同級生はふたり。少人数で学べる環境だからこそ「先生が持っているものは全部吸収しよう」と全力で喰らいついた。

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「専門学校の唯一の同級生は、お母さんがお針子さんだったこともあり、入学の時点で知識量も経験値も圧倒的に私より上回っていました。同じ課題を出されても、見たこともないようなシャツを仕立ててくるんです。しかも手先が器用で、私とは正反対。だからこそ『私は周りより3倍、いや6倍は努力しないと追いつけない』って必死でした」

先生のことばを一言一句を聞き逃したくなかったので、トイレもがまんして膀胱炎になったほど。その熱意は実を結び、卒業時には先生から「努力で人がここまで変われることをはじめて知りました」という最高のことばをもらった。

不器用でも、希望の進学先ではなくても、智子さんは努力で道を切り拓いてきた。

大切にしたいのは、長く愛されるものづくり

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卒業後は地元の工場でパタンナーとして勤務し、週末にはデザイナー育成講座に通ってスキルアップを目指した。そこで、人生の転機が訪れる。夫となる康人さんとの出会いだ。

東京から戻ってきたばかりの刃物研ぎ職人の康人さんに、仕事で使う裁ちばさみの研ぎをお願いしたことが出会いのはじまりだった。付き合って1年が経つころ「本当に服の仕事をしたいなら、ここにいちゃダメだよ」という彼のことばに背中を押され、東京へ行くことを決心した。

22歳で上京。ベテランパタンナーの片腕として3年間経験を積み、大手アパレルメーカーへ転職。さまざまな技術を身につけ、康人さんと結婚してからも遠距離生活をしながら仕事を続けた。

しかし、アパレルの仕事を積み重ねていくにつれ、少しずつ違和感を持つようになった。シーズン毎ごとにトレンドに追われて作る服は、まるで使い捨てのように扱われてしまう。智子さんは「何度でも手入れをしながら、長く着続けられる服づくりがしたい」という想いを募らせるようになった。

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その後、退職をした彼女はオリジナルブランド「omoto」を立ち上げた。夫、康人さんに名づけてもらったomotoは、いつしか2人のユニットとなり「暮らしの中の布と鉄」を仕立てるようになった。

2011年からはいわきと東京に拠点を置き、国道沿いの小さな平屋を夫婦の住居兼アトリエにした。智子さんが作るオーガニックコットンの風合いを活かした服や小物、康人さんが作る包丁は、暮らしの中から生まれている。

手間暇を惜しまないものづくりには、もしかしたらエネルギーのようなものが宿るのかもしれない。全国各地で行われるomotoの展示会には、唯一無二の作品を求めてたくさんのお客さんが訪れるようになった。

より自由に、より柔軟に、自分らしい表現を

智子さんの人生をのぞかせてもらうと、うらやましいほど“好き”なことへ一直線だ。けれど、大人になって社会や家庭の中で“役割”を担ううちに、自分の“好き”がわからなくなることはないだろうか。周りばかりがよく見えて、置いてきぼりのような気持ちになってしまうことだって時にはある。

智子さんのように軸をぶらさず、自分らしくあるためにはどうしたらいいのだろう?

「常に自分の感覚を研ぎ澄ますようにするといいんです。たとえば外食をしてメニューを決めるときにも、今、自分が本当に必要なものを選べるようにする。自分の状態に合った食べ物が選べると、ちゃんと体が楽になるんですよ。食事の決断だけでも1日3回あるわけだから、筋トレみたいに訓練できます。夫がね、昔『人生は、チャンスの風をつかめるかどうかだよ』って言ったことがあって。このことばを聞いたとき、その風をちゃんとつかめるように感覚を研ぎ澄ましておこうって思うようになったんです。でもそれは、急にはできないから日々の小さな決断の中で磨いていくんです」

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そんな智子さんも、実は最近まで“好き”を見失ってもがいた時期があるという。

「30代はまいにち自分のつくった服を着ていたのに、ある時、急にぜんぶ似合わなくなったんです。どうしたらいいかわからなくなっちゃって。それまでは好きに向かって進むだけだったのに、作りたい服もないし、向かいたい方向もわからないし、初めて苦しい気持ちを知りました。でもあるとき『智子さん、それが普通ですよ』って言われたんです(笑)みんな、わからないまま進んでいるんだって」

細々と仕事を続けながら3年ほどは休養期間を過ごした。この経験は、彼女にとって大きな転換点になったという。自分の中のあるべき姿から解放され、より自由に、より柔軟に、自分らしい表現を求められるようになったのだ。今、彼女は新たな気持ちでものづくりと向き合うことができている。

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ひととおり取材を終えたあと、話を聞いた側なのにまるでセラピーを受けたかのようにすっきりとした心になっていた。周りのスピードにまどわされず、じっくりものに向き合う生き方に触れることで、自然と元気をもらえるのかもしれない。

「よかったら、お昼ごはん食べて行きますか?」

そう言ってささっとつくってくれた手料理は、どれも本当においしくてじんわりと栄養が身体に沁みわたった。暮らしを愛しむ智子さんらしさが一皿の料理にも表れているような気がして、その日は一日中体の芯がほくほくと温まるような幸せに包まれた。

 

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鈴木 智子(すずき ともこ)
福島県いわき市生まれ。地元の専門学校を卒業後、縫製会社勤務を経て、2003年に上京。大手アパレルメーカーでパタンナーとして活動しながら服を中心としたオリジナルなものづくりを始める。その後独立し、2009年「 omoto 」を立ち上げる。現在はいわき市に活動拠点を移し、月に2回セレクトショップ「生活直売店」をオープンしている。

※写真提供協力:白石ちか(@chikashira31

【生活直売店】
住所:いわき市平谷川瀬1-19-6
※詳しくは以下のHPまたはInstagramをご参照ください。

▶公式HP:omoto 生活の中の布と鉄
▶Instagram @omotonomoto

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