人生最高の日の出は“あんぽ柿”の色

いわきの港町に生まれた私は、太陽は海から昇るのが当たり前だと思っていた。
初めて家族で新潟に遊びに行った日に、いつもとは反対に、海に日が沈むのを見た。
上京して都会に住むと、朝日は街のビルの隙間から出てくるものになった。
そんな私が、またいわきに戻り、海の上で日の出を見ている。太陽がこんなにも生活に、そして仕事に影響を与えるなんて、エアコンが効いたオフィスで働いている頃にはここまで敏感には感じ取れなかった。
海で知る太陽のあたたかさ
市場の開場に合わせて早朝の薄暗い時間帯に漁に出ると、海の上で日の出を迎えることがある。
青に近い薄グレー色の空が、太陽からの波長の長い光で赤みがかってくる。水平線に光の筋が走り、丸い太陽の頭がのぞく。手元で作業をしながら、顔を上げるたびに太陽の位置がどんどん上がっていくのがわかる。そして、1/3ぐらい顔を出したあたりで、頬にあたる光に“あたたかさ”を感じる。
「太陽の光ってあったかいんだ」という当たり前の概念を、体感して確信する瞬間でもある。
夏はもっとわかりやすい。日の出前には海の涼しい風が心地よく、仕事をするにもちょうどよい気温に感じるが、ひとたび日が昇ると太陽の熱が肌を刺す。
日が昇りきってからは、つなぎカッパの下で滝汗をかき、肌が出ているところがジリジリと焼けるのがわかる。
こんなふうに太陽の熱を感じるたびに、「大自然の力にはかなわない」と思い知らされる。
陸から見る初日の出
いつも船上や市場で仕事をしていると、そんな感動的な朝日のワンシーンが、どんどん風景の一部になっていく。
しかし元旦の朝になると、私にとって日常になってしまった日の出が「初日の出」という一大イベントになって、人々の心を躍らせる。
元旦の朝、いわきの沿岸部は初日の出を狙う人たちの車で渋滞する。いつも通っているひなびた漁港にも、たくさんの車が止まり、人が集まる。
震災前はこんなに人が集まっていただろうか。もうあまり思い出せない。
そこにいるみんなが、海だけを見つめて、太陽を待ち望んでいる。
明け方は海の上より陸のほうが寒い。だから、船上で迎える日の出よりも、陸でのほうが太陽のあたたかさを余計に感じるのだ。
それを知っている私は、少しだけ得をした気持ちになる。
82歳の人生最高の日の出
正月の昼下がり、家族で団らんしていると、たまたまテレビで各地の初日の出の様子が映し出された。やっぱり、地域によって日の出の見え方はさまざまだ。画面越しだがどれも美しいと思った。
そんな映像を見ながら、祖母が突然「昔海で見た朝日が最高だった」と、マウントをとってきた。
祖父と一緒に漁に出ていた経験がある、82歳の祖母だ。目を輝かせて、「本当に奇麗だった」と、さまざまな言葉を尽くして、その“人生最高の日の出”の説明をしてくれた。色は何とも言えないオレンジ色らしい。テーブルの上のじゅくっとした深いオレンジ色のあんぽ柿を指さし、「こんな色しててね。あんな朝日は船に乗らなきゃ見られない」と。
もう船を降りて久しい祖母にとって、あの時の日の出は非日常になった。その日の出を見た時も同じように、人に自慢したくなるほど感動したのだろうか。
私ももう、人生最高の日の出に出会っているのだろうか。
写真:金田侑子、金田翔子、久保奈都子
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