西会津町に移住して3年。私がいま・ここで感じていること。

「ただ暮らしてみたい」というだけで西会津町に移住して、まもなく3年が経とうとしている。まだまだ田舎暮らし初心者。だんだんとここでの暮らしに馴染み始めたくらいである。
今回は、西会津町での暮らしの中でどんなことがあって、どんなことを感じているのか、ちょっと書いてみたいと思う。
日々の些細な出来事
朝、目が覚めると鳥の声がする。外に出たら木漏れ日が差していて、外の空気が気持ちいい。散歩をすると、家の裏に栗が落ちている。思わず拾う。拾いながら今夜は栗ごはんにしようかなと思う。近所のおばあちゃんとすれ違って、立ち話をしていたら「ちょっとよってみっせ」と言われ、お家に上がって野菜をいただく。私が自分で世話している小さな畑がある。周りの皆のようにきれいな畑ではないが、野菜やハーブなどを植えている。そこから野菜を採ってきて料理して食べる。夕方の空の色は毎日違って毎日きれい。田圃道から見る夕方の空がお気に入りである。夜は晴れていたら天の川が見えるほど、満天の星空。今年の夏は家のすぐ近くの草原に寝転んで、ペルセウス座流星群を観た日もあった。車を少し走らせればいろんな泉質の温泉がある。友人と気になるカフェに行くみたいに、気になる温泉に行ったりする。毎週水曜日はスポーツクラブの日。近くの廃校の体育館を借りて、バスケットボールやバトミントン、卓球などをする。大人になってからする運動は楽しい。
こういう日々の些細な出来事は、一つ一つは派手で華やかではないけれど、じんわりと感じる豊かさがある。しあわせの種である。

近所のおばあちゃんのお家でいただく、お昼ご飯。

スポーツクラブの様子。地元の人も移住者も一緒に。年齢もバラバラ。
「生活をつくる」ということ
畑をやってみる。米作りに関わってみる。春には山菜を採り、初夏は梅仕事で忙しい。夏はたくさんいただいたキュウリやナスの美味しい食べ方を考え、秋はせっせと干し柿を作り、冬には味噌を仕込む。季節を感じながら、なんでも自分でつくってみることができる生活が、私にとってはおもしろくてたのしい。
この地域には「人足(にんそく)」と言われる集落ごとの共同作業がある。田んぼの水路や家の周辺の側溝の清掃・草刈り、公民館の掃除や雪囲いの設置作業などを行う。自分たちの暮らす地域の保守管理は、自分たちでしていくのだ。
初めて参加した人足で、私は感動してしまった。それは田んぼへ水を引き込む水路の清掃で、「この集落の命の要とも言える水路の清掃を、今年もみんなで力を合わせてやっていきましょう」という挨拶から始まった。多くの人が田畑を持ち、自分たちの食べるものは自分たちで作っている。その環境を守るための整備も自分たちでする。生きるとはこういうことかと思ったのだった。
「自分(たち)の生活を自分(たち)でつくる」ということは、ときに大変であるし、面倒だと感じることもある。でも、生きている実感を与えてくれるし、何よりおもしろくて、喜びを感じるものでもあった。

6月の人足、水路の清掃の様子。
そして、訪ねてきてもらえる側になった。
私が西会津町で暮らし始めてから、「どんな暮らしをしているの?」「なんかおもしろそうだね!」とたくさんの友人・知人が遊びに来てくれている。
家族、パートナー、学生時代の友達はもちろん、何年も会っていなかった幼馴染が連絡をくれて訪ねてくれたり、大学の後輩が数週間滞在してくれたりもした。
彼らが来てくれたときには、町を案内したり、私も行ってみたかったところへ行ったり、畑や季節の手仕事やカフェの仕込みを手伝ってもらったり、散歩したり、温泉に行ったり…と、私の日常のお裾分けをして過ごしている。私がかつて訪問者だったときに、訪ねた先の方々がそうしてくれたように。
訪ねてきてもらえる側になるというのはうれしいことだ。それも、特別でない日々の暮らしを分かち合って楽しむことできるのは。

訪ねてきた友達を近所の方の畑に案内
西会津町で暮らすことは、正直大変だなあと思う瞬間もたくさんある。「なんでこんな田舎にわざわざ移住したの?」と不思議がられることも多い。
でも、暮らしてみないとわからない何かがある気がしていた。今もうまく言語化はできないけれど、でもやっぱりここには豊かな暮らしがあると思う。これからも日々生まれる些細で滋味深い西会津町の豊かさを、大切に味わって生きていきたい。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。